ヴィヴィアン先生とオットー、詩人のルカ―ン。
※
さて、次はどことどこが争うことになるのか。
来たばかりの頃はそのことに考えを傾けていた。
世界情勢と軍事とは切っても切り離せない関係にある。それらを教鞭として振舞えれば場所はいとわなかった。
とはいえ、ここ最近―厳密にはもっと前からなのだろうか。
ここに来てからこの世界で日々連続起きている現実が心に重くのしかかっている。
崩壊したクリスタル自治領。私―このヴィヴィアン・ナインゲールの故郷だ。そしてただひとりの王が治めていたウォールード王国。かつてはそこに軍事顧問の一員としていた。
新たな王国は狂気に沈んだ王が討ち取られ。マザークリスタルドレイクスパインの破壊と共に終焉を迎えた。
感傷、とは違うと思う。私のいまこの胸にある感覚は。
興味―それは好奇心とは違うものだと私は己を分析している。クリスタルに頼り縋りつき、その為に他者を踏みにじりそれが救いなのだと信じ切っている人々。既に魔法は使えない。世界は混沌としているとクライヴへ告げた。彼にそう告げた後。鉛のようにぼとりと心に下る不可解な感覚が襲ってきた。
このヴァリスゼアの世界情勢を興味と知識、教養として熱弁する為に熱心に知る度に。
ここにいる彼らの暮らしを—その変化をここに来てからまだ1年も経っていないが目の辺りにする度に。
どうやら私自身も変わったのだ。
サロンに来た。煮詰まっていなくても切り替えていくのもひと息入れるのも大切であろう。
書物を手にして読むのはハルポクラテスの教え子であるテトとクロ。教室で算術から読み書きまで教師であるシャーリーに教えられている子どもたちだけではない。以前のシドの拠点にいた年配者だって同じだ。この年になって読み書きを学ぶなんてねとベアラーだった彼女は言う。クリスタルなくとも魔法が使えるベアラーたちは産まれた瞬間から、そして判明したその時から“人”としては暮らせないからだ。では“普通の人”はどうなのか。
先ほど話した通り、クリスタルに縋りつづけたが故に。クリスタルからもう魔法が使えないと人々は祝福を失い、恵みももうなく。混乱と混沌とした世界にあって怯えている。
生き残りたい、生きたいと。この拠点にいる彼らと同じ様に他者を踏みにじるのではない。
互いを見つめ。認識し。そしてクライヴやジョシュアがしているように手を差し伸べて立ち上がれるのだろうか。
サロンのテーブルにて腕を組みながら考え事をしていると先生奢ろうとオットーが声を掛けて来た。
「クライヴがよくここでエールを奢っているが…」
私は酒を好まないぞと腕を組みながらオットーを見上げると。
「分かっているさ。茶の葉が手に入ったんだ」
ジルがちょうど出たついでにな。少し前から買い物を随分と楽しめるようになったんだよ。
ささやかながら明るい話題を提供してくれるオットーの好意を受け取ることにした。
「そうか。ありがたく頂こう」
素直なその反応に先生も本当に変わったなとオットーはじんわりと感じながらメイヴとモリーが仕切るタブアンドクラウンのカウンターへ向かう。
ふと顔を上げると詩人であるルカーンが目に入った。彼もかつてのシドの拠点から弾き語りを変わらず続けている男だ。
奏で、メロディーに乗せ紡ぐ言の葉。詠唱、という点では魔法に近いものではないかとヴィヴィアンは彼を真っ直ぐに見つめて分析し始めた。
「お待たせ、先生。ん…?ルカーンがどうかしたのか」
学者と吟遊詩人の間に繋がりなど無いだろうと思っているオットーはこの様子が不思議でならないらしい。
運び込まれて来た紅茶を冷めないうちに一口飲んで気を落ち着かせてから。
「意外か?歴史を紐解くなら詩人は国―王侯貴族たちとは切っても切れない関係にあるのだが。クライヴの弟ジョシュアもノースリーチへ教団のひとりを吟遊詩人として遣わしているだろう。最新の話題全てを知り尽くし。大学に出された注目すべき論文そのものを復唱もし」
実際私はカンベルの大学で教鞭を振るっていたからな。私の論文を復唱された時のことはよく覚えているとヴィヴィアンは語り続ける。
「宮廷に関するゴシップにも精通し、貴族階級の男女の為に即興の詩も読み上げる。これは才能がないと出来ない。 そして詩を詠んでもらおうとありとあらゆる情報が集まり集められる。ジョシュアも適役をあてがいたいしたものだと思っていた」
「はあ、流石は先生だ」
オットーにとってルカーンはシドが見つけて来た仲間のひとりであり。
クライヴと出会ってからは作家を目指しているエディータや旅の出来事を事細かに記して来たヨーテと似たようにクライヴとジョシュア。そしてここインビンシブルの彼らの出来事を詩に託し奏でている男なのだとそうした認識である。
「ルカーン。先生はこう言っているが。お前今度は何を謳うつもりなんだ」
クリスタルの加護が完全に断ち切られた後のこの世界で。
ルカーンは静かに顔を上げたかと思うと。
すぐ脇であるハッチ部分を改造した出入口から見える覆われた空を少し眺めたかと思うと。
青空が取り戻されたなら。クライヴとシドの誓いが。ここの皆の願いが叶ったのだと。
それはメティアに祈るのとは違うものです。ありったけを込めて詩を奏でますと静かながら美しい旋律が奏でられるのだと分かる微笑み方と雰囲気で教えてくれた。
「…そうか」
オットーが優しく目を細めた。
「混沌から変わっていく、ということなのか」
ヴィヴィアンもこれから先を分析し始めたかのように厳かに。
それでいて柔らかい雰囲気を纏いながら頷いた。
悲しみと苦しみはすぐには取り除けなくても。新たな舞台でそれが過去のものであったと誰かが時には語るように人が人らしく生きていく世界で。
吟遊詩人であるルカーンの詩もまた。
「本とは違うんだろうな」
「良いと思う。宮廷の恋愛を謳ったものの中には女性を高めるものもある。真実の愛や至潤の愛を謳ったものがな。そこから貴族の男たちの女性への見方も大きく変わったと大学で教えていた者もいた。ルカーンの詩も。誰かが必ず…必要とする者が見出すさ。…どれほど時間が掛かったとしても」
そのように後押しをして。優しく微笑んだ後、残っていた紅茶を静かに飲みながらヴィヴィアンが纏う雰囲気がさらに柔らかくなり。
オットーはそんな彼女と嬉しいのだろう、こちらも柔らかい気配を放つルカーンを交互に眺めながら大きく頷いた。
「お前なら出来るさ。クライヴの生き様をずっと奏でていたな。…苦しくて辛い日々だった。けど俺たちはずっとその現実に立ち向かって来たんだ。そしてあいつの背負っているものをここにいる誰もが逃げ出さないで最後まで支える、付いていくと決めたんだ。
謳って奏でてくれ」
各地で散らばっている詩人たちと共にでも。
ここの皆と語り合いながらでも良い。
お前の綺麗な歌声と共に奏でて。そうしてこのヴァリスゼアの全体に広げていってくれ。
そうすれば遠い魔法がない世界の誰かが。どこかで。
必ず見つけるのだから。
そうして、本とは違う形で語り。その唇の実で奏でる。
悠久の風にのせて愛する者へと届けるのだ。
ふたりはルカーンを通してそうした未来を思い描いていた。
※おまけ
オットー「ところで、先生。その、なんだ。愛の詩ってやつか?先生がそういうの嗜んでいたっていうのは意外だな」
ヴィヴィアン「あくまで熱弁を振るっていた者がいたというだけだ。女性に対する見方は気品があって気高いもの、誉れあるものとして広がって行ったのだと」
オットー(あーだからなのか、あいつはベアラーとして扱われて来た期間も長かっただろうにジルに対して何というか王子様みたいに振舞う時があるのは。ジョシュアはもっとこなれているしな…)
ヴィヴィアン「どうかしたのか?ああ、だからといって私は自分が自分がと自らの権威ばかり主張するつもりはない」
オットー「ん?」
ヴィヴィアン「女性である私を高めろ、などとは思わないさ。ここは皆で思考を巡らせ。そうして考えて考え抜いて協力しながら生きていく場所だろう」
オットー「先生…!」
ヴィヴィアン(そんなに感動することなのか?ここはそういう場所なのだと気づいたことを言っただけなのだが)